預言者エレミヤ 革(あらた)まる、因子分析

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 「絶体絶命のピンチを起死回生のチャンスにし、道を拓く」方策を、人は求める。

 試練の中から、全く新しい心境になった先人たち。
バビロン捕囚で、預言が変わったエレミヤ、エゼキエル。神の言葉預かりし者として、虚しくこだますることなく、希望を謳(うた)った新たな契約を預言した。

 要因は、外部にあるのではなく、内側にある。「新たな統治者を打ち立てなければいけない」とは、代わる新たな指導者を指すというより、革(あらた)まる。
新たな自分を、あなたの人生に新たな人生の統治者を生み出しなさい。
 天は、人間の代表者に統治を任せる。その人間が堕落すると天は人を改める。
王、為政者に進言し、王朝終焉、新たな王を立てることも、旧約の預言者は、やってきた。
 だが、「国破れて山河在り。兵(つわもの)どもが夢が跡」の状況において、
君ら(異国の支配者)にとってはガラクタに過ぎないが、宝(タルムード、モーゼの律法、ユダヤ教の要)を携えて、囚われの身になったエレミヤ。
 哀歌、嘆いていたその自分では、預言活動の変曲点は越えられない。屈服していては、未来に希望はない。限界をつくっていた心を転換し、別人に生まれ変わる。
慣れ親しんだ古い自分から、新たな自分と統治者交代。


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 新たな契約、イエス・キリストが現れることをエレミヤは預言したとされるが、
それが実現するには、かなりのタイムラグがあった。
国を失い、異国の支配下に置かれたままであった。

 イエスが現れた時も、かつての、イスラエル12部族のアイデンティティ、ユダヤ王国の復興を民は求めた。
ところが、イエスさまは、「アッバ(パパ)」と親しみをこめ「神は愛である」「隣人を愛せよ」と、人々の想いと逆行するよう、真逆の言葉を投げかけ、人々の中に入って、愛(め)で、関わられた。
(神様は君のすぐそばにいますよ)
 盲目を治された奇跡を、イエスさまは起こされたというが、
映画「ルーム」を見て、今まで全く認識しなかった世界、事象が、急に飛びこんできては、脳が適応するまでが大変だから、
おそらく、イエスさまに出会って、モノクロだった日常が鮮やかにカラーに変貌し、その方は、イエスさまをお伝えした。
どうすることもできなかった束縛や心の重力から、心が晴れて、自由になる。それが本当の奇跡だったのだろう。

 祈りだけでなく、人は、自由意志を持ち、一切の全権を委ねられている。
向かう道をあきらめてはならない。めざす場所、求める理想は、どんなに遠く困難でも。
目標があるから、障害が表れる。と聞いたことがある。目標を立てると、それを阻害するものが見えてくる。

 様々な出来事、人生の経験によって、状況が変われば、目指すものは変わってゆく。でも、そのとき、最善の計画、最善の方法を目的地、ゴールと呼ぶのです。
 そして、今日一日にも、訪れる出会いにも出来事にも、取り組んでいる仕事にも、抱えている問題にも願い、イデアがあります。あるかないかもわからない答えを探すのではなく、私たちは必ず、存在する解答、神意に叶う、本来あるべき姿を探し続け、それに近づこうとするのです。

 それを見える化、可視化とは、
直接、掴むことができない、触ることができない要因のことを因子という。因子分析とは、事象を挙げていって、要因ごとに整理していく。
ちょうど、刑事ドラマでホワイトボードに書かれているようなもの。刑事ドラマのホワイトボード(実際の捜査では使わない)とは、起こったことを書き連ねるメモではなく、捜査会議を開き、方針を出す。またはそこから「見えて(認識して)いなかったものをつなげて、あるいは仮説が合っているか確かめて」推理…?
「状況証拠だけではダメ、動機があっても物的証拠がないとダメ」と言うよね~
 言葉を変えれば、願いがあるから試練がある。
 フロイトは、過去に原因を見出そうとする傾向があり、アドラーは、未来に向けての具体的な行動を提案しているような気がする。
「こうすれば、こうなる」のアクションプログラムも、本人が理解し、納得しないとだめなのかなぁ~
 ビジネスでは、見えるものを相手にし、そうでないものは…
人間は千差万別だから共通項、定理、要因を積み上げられない、ケースバイケースの対応になる、とか、あるんだけどね~、そんな理屈だけでは通らなく、人心掌握とか、
今は両者とも不可分のものとなってきているような気がする。


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