変革を起こすには~☆動:キリスト教の聖人

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 風を起こす人も、必要。剣を投げこむ人も必要

 預言者エリヤは、ギルアデ出身、信仰心が薄い地から出た。ティシュべ人。先祖は、モーゼが、約束のカナンの地を目の前にした時に、結集したイスラエル12部族(神の民)から離脱した。
「時代が悪い」「親が悪い」「育ちが悪い」「教育が悪い」「星の巡り合わせが悪い」…
エリヤは、血(血筋)や地(地域、環境)や知(時代の流れ)に縛られなかった。
北イスラエル王国のアハブ王の妃イゼベルが、バアル信仰を持ちこんだ。
王に本来の信仰に、立ち戻らせよう。道を正そうとした。信念のため、妃に闘いを挑んだ。が、妃に命を狙われ、カラスに助けられ、命をつなぐ。
 戻ってきたエリヤは、イスラエルの将来に希望を託した。だが、粛正は完遂はできなかった。
だが、エリヤの境地が変わったのだ。ビジョンが変わったのだ。



 ジャンヌダルクも、文字が読めなかった。このことが、異端裁判で不利になるのである。
剣も持てなく、馬に乗れない、兵の指揮をとることもできなかった17歳の少女が、シャルル王太子を国王にするように、召し出しがあった。
同情したり、人間不信を募らせたり、犯人探しをするのではなく、ジャンヌダルクが複雑な国と国の軋轢や、諸侯の争いなど、もっと複雑な力関係の中で、なぜ、自らを見失わなかったのか。
個人主義(騎士道)のフランス軍、裏切り(内通者)これらを、1つにまとめ、団体戦としての勝利。先頭に立って、旗を掲げ、闘ったジャンヌダルク。戦略、戦術、分析、策ではないと思う。ジャンヌダルクの信仰が、周りに伝染して、よい化学反応を起こしたのだろう。
 ジャンヌダルクの魂は、裏切った人への想いにイエスを重ねるため、十字架を所望し、大天使ミカエルに祈り、地上に訣別した。

 洗礼者ヨハネも、主の前に道を整えた、準備した、イエスを証した、自分の弟子をイエスのもとに送り出したと、聖書に書かれている。
カトリックでは、「荒野で叫ぶ者の声がする」、力強いが、自らを誇示するのではなく、イエスより先(地ならし)だが、あくまでも、イエスより下にご自分を低くへりくだられたと、洗礼者ヨハネを捉える。
 月は自ら輝くのではないが、追いかけて、そばにいるように、照らしてくれる。光はひそやかでありながら、凛としている。

 変化を起こすことについて、
エネルギーの量は同じでも、出力の仕方、現れには、違いがある。

 エネルギーを全開にして活性化する。その振幅の幅は増大し拡散してゆく。
外に働きかけ、周りを巻きこんだ。

 エネルギーのバルブを閉めていき、出し惜しみで、尻つぼみになった状態が続くと、停滞し、
エネルギーのバルブを全開にし、増幅し続けると、どこかに無理がきて、破綻しかねない。そのようなリスクも孕む。


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